ジェイアール九州バス(株)
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山鹿線の歴史

JR九州バス山鹿線は、「省営自動車山鹿線」がルーツです。
省営自動車山鹿線は、昭和10(1935)年8月21日、
まず南関〜肥後大津間48キロが開業しました。
これは当時、瀬高〜南関間に「東肥鉄道(後に九州肥筑鉄道)」
が開業していた為の部分開業でした。

その後、昭和13年に同鉄道が休止になり、やがて廃止されたのを受け、
昭和16(1941)年12月1日、残りの瀬高〜南関間14キロが開業し、
鹿児島本線と豊肥本線を結ぶ鉄道連絡(短絡)線として全通しました。

その後、省営自動車は戦後の昭和21年2月、「国営自動車」となり、
昭和24年6月の日本国有鉄道発足と同時に、
「国鉄自動車(日本国有鉄道自動車局)」となりました。
(沿線の年配者からは未だに「省営バス」「国鉄バス」と呼ばれる場合もあります。)

その後、国鉄の赤字増大に伴う再建の必要性から、国有鉄道は分割民営化され、
昭和62年4月1日、6つの旅客鉄道会社、1つの貨物鉄道会社その他からなる
「JRグループ」になりました。
それと同時に、山鹿線は「九州旅客鉄道株式会社自動車事業部山鹿線」となり、
ここに、「JR九州バス山鹿線」が誕生しました。

その後14年、貸切バスの参入自由化に次ぎ、
路線バスの自由化という業界の激変に対応する為、
自動車事業部はJR九州本体より分社、独立され、平成13(2001)年7月1日、
「ジェイアール九州バス株式会社」として営業を開始、現在にいたっています。

昭和50年ごろには年間約120万人を輸送した山鹿線も、
国鉄末期には約80万人、現在では・・・人と
利用者数は下げ止まりを見せず、厳しい経営状態のようです。
しかし、沿線住民からは、信頼できる生活の足として親しまれて今日も走っています。